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2009年5月2日土曜日

もっと知りたい!韓国TVドラマvol.20 (MOOK21)

韓ドラのあたらしいヒーロー

ぺ.ヨンジュンさんの大王四神紀以降、韓国の歴史ドラマブームとなっています。
その中で高句麗建国の一連ドラマとして人気になったチュモン(朱蒙)、そしてその続編として現在放送中の風の国の主人公として活躍しているのがソン・イルグクさんです。
韓国ドラマというと熱烈な女性ファンで有名ですが、歴史ドラマは我々男性もすっかりはまってしまいました。
そのようなわけで、この本は、妻にたのまれて購入しました。
ソン・イルグクファンの女性に最適な本です(妻のコメント)

朱蒙特集では一番おススメ

"朱蒙"徹底解説、他にも特集を組んでいる雑誌はあるけど、
この本が一番内容が濃く感じます(公式ガイドブックは除く)
約半分のページがこの"朱蒙"特集!
ストーリーの解説なんかは少ないけど、なんといっても出演俳優さんたち
へのインタビュー記事の多さは秀逸。
朱蒙のソン・イルグク、ソソノのハン・ヘジンのみのインタビューの雑誌が多い
中で、クムワ王、テソ、ユファ、ヤンジョン、ヨンタバル、オイ、マリ、ヒョッポ・・・、おなじみの主要登場人物ほとんどのインタビューが掲載されています。
また違った角度から"朱蒙"が楽しめそう
"朱蒙"ファンにおススメです♪

貴重な親日国も大切に

【中央日報・韓国人意識調査】
最も嫌いな国
1位日本(55%)
2位北朝鮮(15%)
(中央日報2006年9月22日)

【読売新聞・韓国日報「日韓共同世論調査」】
日本に良い印象を持っている
17%
悪い印象を持っている
82%
(読売新聞2006年8月7日)

【台湾紙「遠見」の台湾人世論調査】
全4質問のうち「移民したい国」「立派だと思う国」「旅行したい国」で日本が1位
「留学したい国」で2位
(毎日新聞2006年6月30日)

日本の旧植民地という、立場はまったく同じなのに、この違いは何なんだろう?

テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0

広告業界における、預言者ヨハネの役割を果たした本

いまから3年前、広告業界における、ある種のパラダイムシフトを予言した本。タイトルが衝撃的だったのか、出版された時期がよかったのか、広告関係の本では異例の売れ行きを示した。

本書で予言されるのは、タイトルどおりテレビCMというビジネスが成り立たなくなる近未来。消費者のマス広告への不信増大と、インターネットによる消費者主導のコミュニケーションの発達で、テレビCMを見て消費に走る人はもはやいなくなり、今までテレビCM主導で成り立ってきた広告業界自体の存在基盤が危うくなるだろうと主張している。

そんな状況で広告業界が生き残っていくには?本書では10の方法を提唱してみせる。出版当時は斬新だったものもあるが、いまやすべて使い古されて当たり前の方法となってしまった。最近の広告業界のスピードの著しさ、業界自体の不安定さを端的に示す一事である。

ともあれ、これ以降出版された広告関係の本は、多かれ少なかれ本書の影響下にあるものが多い。本書をベースに、クロスメディアコミュニケーションを提唱するもの、マーケティングプラットフォームの優位性を宣伝するもの、また本書へのアンチテーゼとして、マスメディアの継続的な優位性を謳うもの等々。いずれも本書からの引用が多い。まさに現在の広告関係の本は、すべて本書が提唱した危機意識をどう乗り越えるか、というところからスタートしているのだ。

例え話をしよう。人々が社会不安におののいていた古代イスラエル、預言者ヨハネは救世主キリストの誕生を予言し、ヘロデ王に殺された。ヨハネは自身の言葉はほとんど残っていないが、ふさわしい時期にキリストの登場を予言したという一点において、歴史に名を残した。本書はまさに広告業界のヨハネの役割を果たしたのではないだろうか。本書から学ぶべきものはもはや少ないが、過去のある時期において、予言の書として大変な存在感を示した。

では広告業界における救世主キリストは何なのか、といえば、それはまだ分からないのが現状である。自称救世主が乱立し、お互いの主張しあっている。どれが生きのびていくのかはまだ分からないが、あたかもキリスト教徒がそれぞれに己の信仰を見い出すように、謙虚な自己省察と反省が今の広告人に求められるのだけは間違いない。

時代遅れとなってしまった本書だが、その歴史的意義に敬意を表して3点献上。

戦艦「広告丸」の"針路"

産業革命をきっかけとした「大量生産」〜「大量消費」
のビジネスモデルには、 TVCMが最も適していました。
とにかく、一人でも多くの消費者にリーチすることが、
最も効率的だからです。

しかし代替品が世の中に溢れ、それらの情報を知る手段も世に溢れている現在、
「典型的な消費者像」といったものは消え失せてしまいました。

代わりに登場したのが、「判断するに十分な情報」と「繋がり」を手にした消費者。
企業の公式サイトには、嫌というほどの情報が詰まっています。
又、クチコミサイトを覗いて見れば、
お目当ての商品に関するクチコミが即座に見つかります。

そんな中「広告」は、どこに向かうべきなのでしょう・・・?

そんな疑問に答えてくれる良書です。

タイトルは衝撃的、内容は堅実的

マス広告が終焉した、とのタイトルに引かれて衝動買い。
かなりのデータを下に、マーケティング環境を世界的
視野で記述している。

広告環境や消費者心理など広範囲を浅く学ぶ点で
面白く読めた。
場合によっては、単なる批判本に思えるかも。

知識が足りない、私のような一般読者にとっては
勉強するための堅実的な一冊でした。

結局は批判本

マスメディアが決して将来有望だとは思わないが、この本は単なる批判本です。ネット広告業界の人たちが"喜びそうな"マスメディアへの批判が永遠に書かれています。私はネットビジネスが好きですが、決して日本ではテレビCMは終わっているとは思ってません。ここまで極論が書かれた本を読んで気分が悪くなりました。

関係者が漠然と感じていることを言語化した本

「メディアの技術的進化にともなって必然的に生まれてきたマーケティング上の問題を
整理した本」として要約出来るかと思います。ただし、テレビCMの目的を「見た消費者が
意識的に記憶し、具体的行動へ意識的に移すための手段」として単純化しているのはやや雑な印象を
受けます。実際のところ広告とはもっと潜在意識の領域のシェア争いとも言えるからです。
ですが、それを割り引いても要点が整理されているように思います。

ただし、「スーパーボウル」を「スーパーボール」と表記したり、「10%減少」と「10ポイント減少」の違いが曖昧だったり、基本的なミスが多い本です。スーパーボールでは縁日で売っているゴムボールのことになってしまいます。

テレビの嘘を見破る (新潮新書)

ドキュメンタリー制作に関する雑感を書いたもの

題名に偽りあり、というのが、このレビューでいちばん伝えたいことです。

TV全体ではなく、ドキュメンタリーだけが対象です。
また、制作者の論理だけが語られています。ドキュメンタリーの制作に関わってきた著者が、自身の制作の経験や、自身が視聴した作品について、そこで用いられた手法を解説しています。それに加えて、後半では、制作者の側でなされてきた、これまでの議論を並べ立てています。いずれも制作者の言い分であって、視聴者の言い分はひどく軽視されています。

結論でいきなり「メディアリテラシーを身に付けろ」とか言い出すあたりに、テレビ屋の高慢さを感じないでおれません。

『ドキュメンタリー制作者の言い分』というタイトルだったら、まだ納得づくで読めたように思います。

タイトルに期待するも、結局は制作者側の論理で...

過去に放映されたドキュメンタリー番組や映画などを例に、やらせ、捏造や誇張などの実例を挙げ、これらに対する様々な考え方を紹介した書。比較的平易な言葉で書かれており、多くの読者が理解可能。

『テレビの嘘を見破る』というタイトルから、これまでに知られていない手口などを紹介しているかと期待したのだが、挙げられている例は大々的に問題となったものや、非常に古いものがほとんどで、意外性に欠ける。また、このタイトルから、著者は視聴者側の立場で制作者側を糾弾するかのように予想されるが、最終的には『作り手の自由』、また資本主義の原理には逆らえないとする、つまり作り手側の論理ともとれる立場で主張しているように感じた。また、結局はメディア・リテラシー、つまり『視聴者の見る目を養え』というありきたりの結論に達しており、他の書と比較しても優れているようには感じなかった。

一応、作り手の自由にもルールが必要とは述べているが、『事実に忠実である』というルールにしても、作り手の主観にまかされるのでは意味がないように感じる。例えば、某テレビ局が『南京大虐殺はあった』という結論ありきで証拠を集めた場合、結論に合致していると思われるものは信憑性が乏しくても採用され、不利なものは除外し、かつ制作者は『事実に忠実である』と思い込んでいるに違いない。つまり、著者の述べる方法は一見正論のように聞こえるが、制作者側のモラルによってどうにでもなってしまうと思われる。現に、ドキュメンタリーかバラエティーかを曖昧にする言い逃れをしたり(元々これらに境界はないのだが)、前世思想や予言を増長させる番組がのうのうと放送されている。たとえバラエティーであって、制作者が注釈をつけようとも、前世や死後の世界、生まれ変わりを信じて自殺者が出るほど、映像の影響力は強い。

著者の策であれば、結局は視聴者自身に責任を委ねているのだが、最も影響力の強いテレビ側が、論理的思考を正しく学び、主観的な立場のみに依拠する政策手法を改善しない限り、騙される視聴者が後を絶つはずがない。したがって、本書は、テレビの放送内容を鵜呑みにしている一部の視聴者には、メディア・リテラシーを考える入門書にはなるかもしれないが、既に他の書を読んでいる者にとっては物足りないと感じるはずである。で、星3つの評価。

10 年をかけてなお整理されていない 「やらせ」 問題の論点

著者は「やらせ」の問題と必死にとりくみ,10 年をかけて結論をだした.すなわち,現場で撮ったナマの映像だけでは明確なメッセージをつたえることはできない.「伝えたいことがあれば,そのために考えられるありとあらゆる最善の方法を考える,というのが作り手の原点です.ただそれだけが,作り手の原点だと思い定めること.それしかないのではないか,というのが,私の現在です.」 10 年をかけたというが,まだ受け手を十分に説得できる論理はそこにはない.

しかし,もうすこし説得的にするためのヒントはあるのではないかとおもう.そもそもテレビは現実をすべてつたえることはできない.現実の一部を画面にきりとってつたえることができるだけであり,その時点ですでに,著者がくりかえし書いている「ありのままの事実」をつたえることなど不可能である. 著者はこの点を指摘していない.

著者が指摘している重要な点のひとつは,取材することによって取材される側に影響をあたえてしまうこと,たとえばカメラでうつされたひとがいつのまにかカメラを意識して演技してしまうということである.著者はまた,映像をただしくうけとるためには受け手がリテラシーを身につけている必要があるが,現在の日本ではそれがカリキュラムにとりいれられていない点を指摘している.著者はほかにもさまざまな重要な指摘をしているが,惜しまれるのはそれが整理されていないため,おおくの読者にはみのがされてしまうだろうということである.

「やらせの現場から」が正しいタイトル

ドキュメンタリー番組の制作に数多く携わった著者ならではの、
実際にやらせドキュメンタリーが作成される過程、
それに対する視聴者の反応や局の対応など、興味深い実例が紹介されている。
「やらせの現場」を垣間見ることができるという点で、貴重な作品であると思う。

反面、どこまでが「演出(=許される)」でどこまでが「やらせ、捏造(=許されない)」かの分水嶺については、
「後の宿題に…」と散々引っ張られた挙句、結局著者の見解が示されていない。
過去の議論の内容についても、数人の制作側の人物の私見を紹介するのみで、片面的である感が否めない。

結局何を言いたかったのかわからない、思いついたことを順番に書いたというタイプの作品であるといわざるを得ない。
作者は映像を生業としてきた者で、文章家ではないので、致し方ない部分もあるのかもしれないが・・・。

普通の視聴者と制作者の感覚の違いがわかる

本書は「テレビの嘘を見破る」という題名だが、実際には「ドキュメンタリー番組の"やらせ"や"演出"を検証する」内容である。つまり、ドキ
ュメンタリー以外の番組(ニュースやワイドショーなど)の検証は一切行われていない。本書の購入を検討されている方は、その点を十分踏ま
えて頂きたい。

本書の著者は、ドキュメンタリーを中心に番組制作を行うテレビマンユニオン社の番組制作者(取締役)だが、一般の視聴者と、ドキュメンタ
リー番組の制作者の間には、認識にも、意識にも、大きな隔たりがあるように感じられた。つまり、本書では、様々な"やらせ"や"演出"を取り
上げた上で、それらをドキュメンタリー番組に用いることの是非を議論しているのだが、本書の著者は、ほとんどの事項に関し、「ドキュメン
タリー番組としては許される範囲」と位置付けているのである。したがって、本書を読んでも、「どのような"やらせ"や"演出"が問題になるの
か」、「問題になる範囲と、ならない範囲の境界線はどこにあるのか」といったことを理解することはできない。

加えて、制作者側の一方的な論理に立っているため、視聴者にとってどのような番組が適切といえるのか、不明確極まりない。また、本書で取
り上げている事例の多くは、5年以上前に制作されたものであり、情報の古さを感じるものだった。

ポピュラーTV—ポップカルチュア選書「レッセーの荒野」 (ポップカルチュア選書「レッセーの荒野」)

地に足のついたテレビ研究

 タイトルの通り、ポップなテレビ論となっています。
テレビをめぐっては、現場制作者の経験から書かれた本か、
あるいは研究者による抽象的で理論的な本に大きく分けられるように思いますが
この本は、それらの研究から抜け落ちてきた、
生活史や個人史のなかでテレビのコンテンツを考察しています。
まさに「地に足のついた」テレビ研究といえるでしょうし、
「テレビ生活史」というジャンルを提起したものとして位置づけられるでしょう。

 また、「ポピュラー」といっても、いわゆるサブカル本ではなく、
ほかで社会学的な学術論文をしっかり書いている著者たちが
そういったスタイルをあえて崩して、
恐らく「本当に書きたかったこと」を書いていると見受けられるところも特徴です。


 

ザ・テレビ欄 1975~1990

やられた!

来ちゃいましたよ。
実はつい数日前、ずっと新聞取ってるんだから、テレビ欄のとこだけでも保存しておけば資料になったよな〜と考えてところだったのです。
ちなみに社会人になってビデオを買ってから、録画の予定を立てるためもあってテレビ雑誌を買うようになって、パソコンで蔵書リストを作ったりするようになってからは、いつかこの番組表をデジタル化したいという野望があって大事に持ってたんですよ。保管場所の問題で泣く泣く処分しちゃったんですが。

というようなことを考えていた人間にとって、これはツボを突かれまくりです。

1975年から1990年までの、4月と10月の番組改編期、それも特番が多い1週目を避けて2週目というマニアックな選択。東京のキー局の番組表なので、地方で見てたのと微妙に違ったりするけどそこは目をつぶります。
とにかくこれはすばらしい。
企画した人も出版した人もえらい!
えらいから、60年代から1974年までも出してください。お願いですから。
1991年以降は、もし出すならどっかから4,7,10,1月の3ヶ月おきに切り替えないと新番組を押さえきれないだろうなぁ。どこら辺からだったかぱっと浮かばないけど。

とにかく、これはいいです。オススメです。

テレビ進化論 (講談社現代新書 1938)

惜しい

いい内容であったが、民放テレビ局への迎合が感じられてしまった。

USは映画会社がTV番組を作っていることは作っているが、一方でアメリカはケーブルの普及率が日本と比較できないほど高く、いろいろなプロダクションがきちんとビジネスとして成り立っている。つまり競争があるからこそ多くの有能な番組製作会社が存在する。
また、彼らを輩出する大学が多く存在することも述べられていない。

仕事柄テレビ局関係者と仲がいいのは明らかで、角が立つことが書けなかったことが見えてしまう部分が惜しかった。
むしろ政府の中から多チャンネルコンテンツ立国実現へ向けて努力してほしかった感すらある。

役人出身→学者の悲しいところ

本書のキーワードは、
?「流通力の覇権?と「創造力の覇権?
?「次のテレビ?と「テレビの次?

これらから想像するものを考えてみて、なんだろうと関心がわけば、
本書を読んでみるといいでしょう。

全般的に博識で詰め込みすぎ位ですが、抽象的で、机上の議論に
しか見れないところが、役人出身→学者の悲しいところです。

業界の商習慣・バイアスがよく分かります。

・テレビがどう進化していくか・衰退していくかに非常に関心を持っています。現状の政府が脳死状態の日本を打破できるのは地上波で有力なアンカーマンが真っ当な世論を形成することだと信じて止まないからです。
・さて、私の目からは、衰退すべくして衰退して行っているテレビ業界は「どういう組織内ロジック」で動いているのか?に興味がありましたが非常に分かりやすかったです。これじゃあ、衰退するのも仕方ない。ゆっくりとした変化だが確実に広告収入は落ち込み、最後は茹でガエル状態となるのでしょうね。著者は映画業界になぞらえていますがその通りだと思います。
・本書の中でなるほどと思ったのは
 ー(著作権を言い訳に動かない業界のまとめとして)勿論、法制度そのものを論じるといっても、官僚組織の行動原理ではそう簡単にいかないことは既に説明したとおり。コンテンツ制作における混乱の中で、今も注目を集める「放送」の解釈問題はその好例である。著作権者の庇護者である文化庁と放送業者の庇護者である総務省の膠着状態の被害者は、サービス進化の停滞という負の影響を被る消費者である。(全くその通りですね。)
・また特にワイドショー中心に「なぜマスコミはココまで馬鹿なのか?」とよく疑問に思うのだがそれに対して
 −視聴者の意見を踏まえて番組作りをするノウハウが現状のところ欠如している (ニコ動のようなものをヒントにすれば色々なアイデアが浮かぶはずだろうが)
 ー逆に、TVを録画する用のHDDが売れているのは日本特有で、それは地上波の特にドラマが出来が良いからだと。(まあそうかもしれないですね。)韓国や中国人も好きな理由も分かります。
・また"編成表"(=TV番組表)に滅茶苦茶執着している、というのは言われてて初めて知りました。既にHDDに録画して保存しているので編成表なんてものは世の中に存在しなくても良いのだがTV業界はまだそんなものに縛られているのですね〜。原始時代のようで面白いです。
・TV業界が買収に抵抗し、著作権や放送権の解釈論議を言い訳に既得権益を守ろうとしても時代は進むのでしょう。確信しました。

「テレビ」に留まらない内容

テレビ放送と通信それぞれの定義と融合(あるいは棲み分け?)
について、ガッツリした論を期待していたが
ダイレクトにそこを言及した部分はそれほど多くない。
むしろネット系コンテンツの価値や流通方法についてを
浅く広くカバーしたという印象。

事例も、この種の「ギョーカイ」では
よく引き合いに出されるトピックばかりで目新しさはないが
コンパクトに復習・概観できるという意味では良い。

ここ数年のコンテンツライツについて振り返りたいという
「ギョーカイ」従事者は、頭を整理するのにジャストな作り。
本書を起点にして学びたい読者は、Wikipedia等の
サブテキストをあたりながらがいいような気がする。

「テレビの次」のヒントをあたえてくれる本

「放送と通信の融合」に関する本は何 10 冊かあるが,本書はそのなかでももっとも示唆にとんでいる.テレビの進化をかんがえるうえでコンテンツをどのように発展させていくかをかんがえることが重要なのはいうまでもない.しかし,著者はテレビ局や従来の放送・通信政策におさえつけられていた古典的な意味でのコンテンツ制作者を自由にすることを主張してはいない.むしろ,「次のテレビ」や「テレビの次」として,YouTube やニコニコ動画がしめしているような Web 2.0 的な方向をみている.「テレビの次」のビジネスモデルのヒントを Google や楽天にみている.とはいっても,よみおわると,むしろいろいろともやもやした感じがわきあがってくる.むしろ,そのもやもやをそだてていくことが今後のたのしみだとおもえる.